酒道しゅどう

第一話・・霜月
火美し
酒美しや あたためむ
青邨(せいそん)

いろりだろうか、四角い大きな火鉢に炭火がまっ赫(か)に燃え、傍らには青冴えした美酒が1本。さあ、あたためよう、温めよう。好酒家山口青邨の面目躍如の句だ。

季譜:酒造始

夜明けの寒さに身を難くして窓を開けると、庭一面に薄っすら霜が光っています。そんなところから陰暦十一月の異名が「霜月」。 暦の上では七日が「立冬」。近づく冬将軍の足音が聞こえてきそうです。それでもまだ秋の名残もとどめて紅葉が見事に燃えています。 ひと雨ごとにそんな紅葉も散り、やがて寒寒とした裸木の梢に精澄な空が広がります。一名「落葉月」とも申します。

移動性の高気圧が発達を始め、西高東低の冬型の気圧配置が定まり、静かな青空の日が続きます。でもつる瓶落としの日の暮れの後は、気温がぐっと下がってきます。 蔵の中では新酒の造りが始まっています。高精白した酒造好適米をよく洗って水分を含ませ、高温で蒸し上げます。 杜氏さんはこの蒸米を少し取ってのし板でこねて「ひねり餅」をつくり、神棚に上げ今期の酒造りがうまく進みますように祈ります。

「カッチリカンと切り込みましたるは玉のようなる清めの切り火。真正面なる松尾さん(酒造の神)、荒神さん(かまどの神)、お屋敷の鎮守さん、八百万(やおよろず)の神々さんもお目覚めあってお立会い下さい。ただいま仕込みましたるは、第一号の醪。江戸へ出しては江戸一番、田舎へ出しては田舎一。
甘く辛くシリピンとした上々銘酒とならしめ給え。祓い給え、清め給え」
やがて蔵の中は醪の芳香に包まれます。

酒ごよみ:温め酒

急に肌寒さを感じてきますので今月は「温ため酒」を楽しみましょう。
昔は陰暦の9月9日(重陽の節句)から酒を温めて飲むと病気にかからないと言われてきました。これは唐の白楽天の詩によるもの、あるいは室町時代の公家 一条兼良の言葉によるとも言われていますが、江戸中期貝原益件の『養生訓』の「およそ、酒は夏冬とも冷飲、熱飲よろしからず。温酒を飲むべし。」という言葉からきたものとも考えられています。
最近は、四季を通じて常温あるいは冷やした酒を飲む人が増えていますが、燗をして温めた酒をじっくりやるのもまた味わい深いものがあります。 ただ、居酒屋や小料理屋でよく聞くのは、「熱燗!」と注文する声です。寒くなって来たので早く体を温めたいのでしょうが、これでは、酒蔵で働く人たちの努力で生まれた芳醇な酒の香りも味も台無しにしてしまって可哀想です。 それだけでなく、熱燗を飲んでいると、食道や胃に大変悪いダメージを受けるという疫学調査がありますから、絶対に止めるべきです。

アルコールというのは、体温と同じくらいの温度になると吸収されて独自に燃えますから、熱燗でなくても体はすぐ温まります。酒は、燗の温度によって、味の感じ方が違ってきます。一般に30度前後の燗を「日向燗」、35度くらいを「人肌燗」、40度の「ぬる燗」になるとふくらみが出て、45度の「上燗」では、その酒本来の味と香りが調和して適温だという声が多いようです。が、それぞれ好みがありますから、ご自分のお好きな適温を確認しておきましょう。

酒席の礼:酒を迎える

今日はどんな酒と会えるか、私は酒と出会う時には人様をお迎えする時と同じように心をきれいにして接します。そして、目を閉じて静かに酒を味わう時、酒がまた、私の心を洗ってくれる想いがします。 こうして肴を間に酒と話し合ううちに、仄かな酔いが訪れ、酒趣が次第に高まってくるものです。 さあそれでは酒席につきましょう。

【着 席】
あなたの席が決まっていたら、席の前まで行って、隣り、近くの客に挨拶をしてから席につきます。席にはあらかじめ酒膳が用意されており、目の前に箸(割箸)が箸置を枕にして置かれ、その向う側に猪口が伏せてあります。

【開 席】
まず、亭主の挨拶があります。次いで亭主あるいはそれに代る人から本日の酒の説明があります。銘柄名だけでなく、吟醸酒、純米酒、本醸造酒等の違い、原料米、精米歩合、日本酒度、酸度、アミノ酸度など米の来歴と、その酒と相性のいいその日の肴の話をします。
ここで、お銚子と前菜がとどき、乾杯をします。乾杯用の酒は、主催者が別に用意する場合がありますが、原則として、自分の左側の客にお酌をします。
亭主から指名を受けた人の発言で乾杯、いよいよ酒宴の始まりです。このとき、女性はあらかじめ、そっと口を拭いて口紅を落としておきます。杯に紅のあとがはっきり付くのは避けたいものです。

『酌』 酒を注ぐ・受ける
『酌』という文字の『勺』は、ひしゃくで水をくむ意味があります。また、人の意見や気持ちをくみ入れる(参酌)意味もあります。ですから、単に酒をくみかわすだけでなく、相手を尊重して、互いに酒を楽しみたいものです。

『酒を注ぐ』
私たちは右利きの人が多いので、右手で徳利を持ち、左手で猪口を持つのが普通です。会合で他の客人に酌をする場合は、左側の人に酌をするのが自然です。
人様に酒を注ぐときも、独酌するときも、酒は静かに落ちついて注ぎましょう。鼠尾、馬尾、鼠尾という言葉があります。最初は鼠の尻尾のように細く注ぎ始め、次第に馬の尾のように太目に注ぎ、七分目ぐらいになったら、また鼠の尻尾のように細くして止めるときれいに注げます。そして、杯いっぱいになみなみと注ぐと、飲む時にこぼすおそれがあるので、八分目ぐらいで止めましょう。 男性は右手だけで、女性は左手をそっと徳利に添えると美しく注げます。

『酒を受ける』
これまで、あなたは猪口をどんなふうに持っていたでしょうか?
猪口の持ち方には、公家流と武家流とがあります。
公家流は、左手の人差し指と中指で糸底をはさみ、親指で猪口の縁を支え、反対側を右手の人差し指、中指、薬指を揃えて添えます。この飲み方は、女性に向きます。これに対して、武家流は、親指と人差し指で猪口の縁を持ち、薬指と中指で糸底をはさみます。この飲み方は男性向きで、杯が安定して、姿勢よく飲めます。

『献 酬』
酒のやりとりを献酬といいますが、この場合は、まず下の者が目上の方に注ぐのが礼儀です。これに対してお流れを頂戴するときは、女性は無論、男性も右手 で杯を持ち、左手を軽く添えていただきます。この時大切なのは、相手の膳の上で酌を受けないこと。必ず膳を避けていただきましょう。
この杯をお返しするときは、『盃洗』があれば盃をここで洗ってから、相手に盃の正面を向けてお返しします。どこが正面かわからない場合は、絵柄のあるところが正面です。

酒の肴:サケ、カレイ、ナマコ、ギンナン

北洋の鮭が秋から冬にかけて産卵のために生まれ故郷の母なる川に帰ってきます。 この川をさかのぼる直前の鮭が最も味が良いのでこれを「秋味」と呼んでいます。 サケは捨てるところがないといいます。頭から中骨、腎臓とさまざまな料理法があります。

サケ

『氷頭なます』
サケの頭の突端から目のあたりにかけてある氷のように透き通った軟骨のこと。 これを氷頭(ひず)と呼びます。塩ざけの氷頭を薄切りにして酢の物にするとコリコリと歯ざわりがよく、いい酒の肴です。

『三平汁』
木枯らしが吹き始めた夜などは三平汁と燗酒で愉しみたいですね。 塩ざけの頭、中骨、内臓などをぶつ切りにし、大根、ニンジン、ゴボウ、ネギ、ジャガイモ、豆腐、 コンニャクなどを豪快に放り込んで煮込みます。これに酒粕を入れて粕汁にするのもいいでしょう。

『めふん』
俗に「背わた」と言いますが、中骨にそって付いている腎臓の塩辛のことです。 細切りのイカなどと和えるといい肴になります。

『酒びたし』
これは新潟県村上市の名物です。塩引きしたサケを尻尾を上にして軒下に吊るし雪国の厳しい冬を越します。 さらに春の雨風にさらし、梅雨の湿り気を得て、ようやく味がのってくるそうです。 この間にサケの口から油が抜け、身は飴色にかたくなります。 これを薄く切って、酒を数滴かけてしばらく置くと軟らかくなり、サケによく合います。

『筋子』
生の筋子が出回って来ます。卵嚢を手でさき、ぬるま湯に入れてふり洗いするとほぐれてきます。 醤油、酒、出し汁で好みの味を付けると、肴に絶好です。熱いご飯にのせたらご飯がすすみます。

カレイ

『鰈(カレイ)』
カレイは、ヒラメにくらべて一般に小型で、食膳に上る種類は多い。マコガレイ、イシガレイ、メイタガレイ、ヤナギガレイ(ササガレイ)、ムシガレイほか、 日本近海には二十種ほどいるといいます。新鮮で大きめのものは刺身がいいですが、そぎ切りにして、湯引きして冷やしても酒が生きます。また、切り身にして煮付けても旨いし、塩蒸ししてあるヤナギガレイをさっと焙るのも酒がすすみます。 瀬戸内のコガレイの干物「デビラ」を頭からかじるのも愉しいです。

ナマコ

『海鼠、海参(ナマコ)』
冬眠という言葉はよく聞きますが、ナマコは海水の温度が高くなると海底の泥の中に穴を掘って“夏眠”します。 そして、水温が下がる秋から冬になると出て来て活動を始めるので、今が漁期です。天下の三珍味の一つ。ナマコの種類は非常に多いといいますが、関東以北では青ナマコ、関西では赤ナマコ(キンコ)が好まれます。 棘皮動物の一種なので、新鮮なものほど外側の棘のようなコブがとがっています。太ってずんぐりしたものが身が厚くて味がのっています。家庭で調理するには、まず身をよくしめることです。 ナマコをビニール袋に入れ、たっぷり塩を入れ、口をふさいで振りもみすると、身がかたく収縮します。身がかたくなったら取り出して水洗いし、両端を切り落とし、タテに庖丁を入れて腹を開け、ワタを出します。これがコノワタです。 塩か醤油を少々落とすと、これがまた絶品の肴になります。好みで酢の物にしてもいいでしょう。
因みに、ナマコを「海鼠」とかくのは、ナマコの習性が、ネズミと同じように夜になると動き回るのでこう書くといいます。 ナマコはまた、「海参」とも書きますが、これは乾燥して中国料理の材料にするイリコのことです。中国では、この乾燥ナマコはニンジンと同じくらい滋養があるのでこう書くといいます。ナマコの内臓のコノワタ(海鼠腸)は酒肴の中の逸品のひとつです。コノワタはそのまま食べるより、イカの細切りなどと和えたほうがおすすめです。 内臓の中で卵巣だけを取り出して干したコノコ(海鼠子干口子)は珍味中の珍味。いずれも日本酒との相性は最高です。

銀杏

『銀杏(ぎんなん)』
公孫樹並木を歩くと、落ちた銀杏を拾っている人がいますが、八百屋の店先にもきれいに洗った銀杏が顔を見せています。 小料理屋などで銀杏を注文すると、塩をのせた皿の上に焼いたぎんなんを並べ、松葉などで化粧して出されます。割れ目のついた鬼皮を熱いのを我慢して割り、中の身を取り出して塩をつけて秋を味わいます。でも、あらかじめ、鬼皮を割って中の身を出し、これを低めの油で空揚げしてさっと塩を振ったほうがイケます。

酒道 酒席歳時記

【規格・装丁】A5版上製本 本文204頁 ソフトカバー付
【著者】 國府田 宏行(こうだ ひろゆき)
【編者】有限会社 笹書房
【発行所】菊水日本酒文化研究所

茶道、華道、書道…日本にはそれぞれの技能を通じて人間を磨く様々な「道」があります。かつて、酒にも同様の「道」があったことをご存知でしょうか。 酒道とは、季節を愛で、豊かな心で味わう、そのためのたしなみ方を極める道です。忘れ去られてしまった、この豊かな日本の文化を、今一度思い出してもらいたい。 そんな思いから、菊水酒造の所有する研究施設「菊水日本酒文化研究所」は、このたび日本酒のもてなしの心、生活文化とたしなみ方、酒席のしつらいや作法などについて解説した書籍『酒道 酒席歳時記』を発行しました。 酒道を通して和の文化と粋をたしなめば、酒座はより一層深く、面白くなります。『酒道 酒席歳時記』は、人生に彩りを与える、大人のための一冊です。

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著者紹介
國府田 (こうだ) 宏行(ひろゆき) 先生

作家、生活評論家で書家。
慶應義塾大学在学中から文筆活動に入り、日本経済新聞社「ショッピング」初代編集長を経て、生活評論、食味評論を続ける。食文化の頂点に位置する日本酒に関心が強く、我が国の酒文化に対する一般認識を高めるべく、現代の「酒道」を確立・指導に当たっている。代表著書に「地酒風土記-前、後」「東京の地酒」「酒々物語」「日本酒あれこれ問答」などが挙げられる。