池のほとりで開いた小さな曲水の宴。草むらに置き忘れたのか小盃がひとつ・・・
「曲水の宴」(きょくすいのえん)は(ごくすいのえん)とも言い、昔、中国で陰暦3月の上(かみ)の巳(み)の日に禊(みそぎ)をして穢れ(けがれ)を 水に流す風習がありました。これがのちに、流れに沿って宴を開き、杯を浮かべて、杯が自分の前を流れ過ぎるまでに詩歌をつくって次の人に送る遊びが考えられました。そして、詩歌がそれまでにできなければ罰として酒を飲まされました。なかでも、353年に紹興の蘭亭に集まった名士たちがこの遊びに興じたことが有名になり、後世にまで伝えられました。
わが国でも、王朝時代、宮廷や貴族の間で盛んに行われるようになり、藤原道長邸にも曲水が造られ、3月3日にはこの優雅な酒宴が行われたといいます。
三月を弥生というのは、草木が弥生(いやおい)育つ時期というところから生まれた言葉です。冬眠していた土の中の虫達も、顔を出す頃です。日照時間が延びて生物体の脳下垂体が刺激され、生長ホルモンがいきいきと活動を始めます。 三月の異名は随月、穀雨惜春月、未春、花飛など、いずれも季節感豊かな言葉です。 今月は周期的に低気圧が移動して天候が変りやすいので、朝は好天でも、午後になると雲が出て、日が落ちる頃急に冷え込んできたりします。それでも地上のすべてはしだいに、春に彩られていきます。
桃の節句を祝う、なくてはならないひな祭りのお酒ですが、遠い昔は物見遊山などにも持参したようで、近世になってひなの節句を祝う酒になったそうです。 蒸した糯米を米麹と焼酎で仕込み、約一ヶ月熟成させてから醪をすりつぶしたもので、アルコール分は約9%、エキス分は45%ありますから、甘くどろっとしているので飲むというよりなめる感じのお酒です。
『江戸名所図会』に出ている東京神田鎌倉河岸の豊嶋屋(現、東京都東村山市の清酒『金婚正宗』醸造元豊嶋屋酒造(株))の白酒は当時大変な人気で、二月の末から酒や醤油の販売を休んで、白酒だけを商い、1千石も売れたと記録にあります。 女性たちが白酒を祝っている傍らで、男性たちは“姫祝いの酒”をどうぞ。桃の花びらをひとひら杯に浮かべて香り高い日本酒を。
『生酒』
たまたま今は搾ったばかりの『生酒』が出来ています。醪を圧搾して粕を分けたままで火入れ殺菌していない生まれたばかりの酒です。今年の酒の出来ばえを占う第一作といってもいいでしょう。じっくり味わって下さい。尚、生酒は一般には『なまざけ』と読んでいますが、業界では『なましゅ』と言っています。ついでですが、これを「きざけ」と読むと、自社醸造の純米酒の原酒のことになりますからお間違えのないように。
酒の「あて」というと、簡単なおつまみを連想しますが、酒を飲むときの料理には、「会席料理」という立派な酒菜料理があります。 日本料理には、室町時代以後、武家社会の礼法とともに固定した「本膳料理」、これを略式にした「袱紗(ふくさ)料理」、また安土桃山時代に茶道から発達した「懐石料理」などがありますが、これらの料理は、いずれもご飯のおかずとして出来たもので、これに対して「会席料理」は酒の相手の料理として江戸時代に生まれた料理です。一品ずつ出されて、それを肴に飲むので、これを「喰切(くいきり)形式」と呼んでいます。献立という言葉は、この一献、一献出す料理から出来たと言われています。
さて席に着くと、杯や箸などといっしょに「先付」が出されている場合もあります。居酒屋でも、注文した酒が運ばれるとき「先付」が出されます。「先付」は、関西では「つき出し」、関東では「お通し」と言いますが、元来、一品ではなく、季節の海山川の三種類を揃えるのが基本です。
料理人が始めて客と対面する場面ですから、少しずつですが丹念に調理したものを出すので、「料理が出来るまでの間に合わせ」と考えないで味わいたいものです。これからいろいろな料理が出されるわけですが、前回もお話したように、「先付」をはじめ、器を動かすときは決して器をすべらせないで、持ち上げて移動させましょう。器の底で膳を疵(きず)つけては失礼になりますから。
『海胆(ウニ)』
ウニというと、あのトゲだらけの外見を思い浮かべるより、最近は軍艦巻きの鮨のウニを連想する人が多いでしょう。そして一年中あるものとお思いでしょうが、実はこれからが旬。種類によって違いますが、バフンウニは三、四月、ムラサキウニは六月、アカウニは夏から秋にかけて排卵期を迎えるのでその直前が最も味が乗っています。新鮮なものは身がふっくらと盛り上がって、しっかりしていますが古くなったものは、形がくずれて溶けてくるのでこういう品は避けましょう。わさび醤油で食べるのが普通ですが、たまにはポン酢でやってみて下さい、これもいけます。
『海松食(ミルクイ→ミルガイ)』
こんな名前初めてかも知れませんが、実はこれが本名。今や高級な寿司だねになっているミルガイは俗名です。浅海の底に潜んでいて、その水管が太くて長いので、これを食用にしています。歯ざわりがいいので、好きな人が多いですが、最近は品薄で非常に高価なので、この貝によく似た海茸(ウミタケ)をシロミルと称して出している鮨屋が多くなり、魚屋の店頭でも見られるようになりました。
『鳥貝(トリガイ)』
東北地方から九州までの浅海で広くとれる貝で、とくに伊勢湾と瀬戸内海が名産地として知られ、今がいちばん美味しい時期です。 軟体部が鳥の形に似ているのでこの名が付けられたとか、味が鶏肉に似て美味しいからとか言われていますが、今の鳥貝は身が厚くて歯切れがよく、日本酒の味をひき立てます。一年中見かけますが、ほかの季節に出てくるのは冷凍物が多く、薄くてゴムのような歯ざわりでおいしくありません。
【規格・装丁】A5版上製本 本文204頁 ソフトカバー付
【著者】 國府田 宏行(こうだ ひろゆき)
【編者】有限会社 笹書房
【発行所】菊水日本酒文化研究所
茶道、華道、書道…日本にはそれぞれの技能を通じて人間を磨く様々な「道」があります。かつて、酒にも同様の「道」があったことをご存知でしょうか。 酒道とは、季節を愛で、豊かな心で味わう、そのためのたしなみ方を極める道です。忘れ去られてしまった、この豊かな日本の文化を、今一度思い出してもらいたい。 そんな思いから、菊水酒造の所有する研究施設「菊水日本酒文化研究所」は、このたび日本酒のもてなしの心、生活文化とたしなみ方、酒席のしつらいや作法などについて解説した書籍『酒道 酒席歳時記』を発行しました。 酒道を通して和の文化と粋をたしなめば、酒座はより一層深く、面白くなります。『酒道 酒席歳時記』は、人生に彩りを与える、大人のための一冊です。
購入する作家、生活評論家で書家。
慶應義塾大学在学中から文筆活動に入り、日本経済新聞社「ショッピング」初代編集長を経て、生活評論、食味評論を続ける。
食文化の頂点に位置する日本酒に関心が強く、我が国の酒文化に対する一般認識を高めるべく、現代の「酒道」を確立・指導に当たっている。
代表著書に「地酒風土記-前、後」「東京の地酒」「酒々物語」「日本酒あれこれ問答」などが挙げられる。