社歴

History
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酒銘の由来

Origin

不老長寿を謳った「菊慈童」という能楽に起源があります。

「菊水」の酒銘は『太平記』十三巻(龍馬進奏の事)における『菊慈童』という能楽に起源を求めたものです。その一説によると、『その昔、魏の文帝の臣下が帝の命を受け、薬の水を求めて山に分け入ったところ、齢七百歳にもなる仙人に出会いました。この仙人は七百年前、周の稽王に仕えていた慈童で、何かのお咎めにより、この山へ流罪された身とのこと。不憫に思った王が法華経の中の八句のうち二句をそっと伝授し、慈童はそれを毎朝唱え、忘れてはいけないと菊の葉に写していました。やがてその菊の葉にたまった露が、天の甘露となり、その露を吸っていたところ、いつの間にか、こんなに生き永らえることができた…』とあります。

すなわち、菊の水は不老長寿をもたらすものであり、これに因み酒銘「菊水」が生まれたのです。第二次大戦当時、特攻隊の名称や尽忠報国の象徴、あるいは大楠公の家紋として多くの方に知られるようになってはいますが、「菊水」の名称は能楽に起源を持ち明治43年に商標登録されたものなのです。

菊水酒造の歩み

History & Tradition

※横スクロールでご確認ください。

創業者髙澤節五郎
創業時の試行錯誤
1881
(明治14年)
1881(明治14年)

菊水の誕生

菊水初代・節五郎は弱冠16歳で、叔父にあたる本家当主・髙澤正路より酒の製造権を譲り受け、造り酒屋として生計をたてることを決意し、酒屋を興す。

当時の酒造りといえば、現在の純粋培養や酵母添加方式と違い、蔵内に住み着いた酵母に期待するという原始的な手法。しばしば火落菌(腐敗菌)が発生し、酒が白く濁って腐敗することも。そうした失敗と成功の繰り返し、試行錯誤しながら、造り酒屋としての形を整えた。

1896
(明治29年)
清酒製造の免許を
新潟県知事から公布
二代目髙澤俊太郎
千石酒屋へと成長させた
1910
(明治43年)
1910(明治43年)

「菊水」商標登録

『太平記』十三巻(龍馬進奏の事)における『菊慈童』という能楽より、菊の水は不老長寿をもたらすものであり、これに因み酒銘「菊水」が誕生。

1921
(大正10年)
1921(大正10年)

製販分離を実行

製造は中倉に、営業は代々の元屋敷加治三日市で行うことにし、製販分離を実行。

大不況の中で、需要の多かった焼酎の製造を始め、社会に供給。
その中で俊太郎は、周囲の熱望を受け県議会議員に出馬・当選するなど、政治・経済にわたり八面六臂の活躍をした。

三代目髙澤徳二郎・妻チヨ
戦時中の苦境を乗り越えて
1941
(昭和16年)
1941(昭和16年)

戦時中の苦難を耐え抜き、
蔵を女手ひとつで守り抜く

徳二郎は病気がちではあったものの、父・俊太郎の留守を守り、家業を担っていたが、俊太郎が脳溢血で倒れ、寝たきりの状態に。翌年、徳二郎も42歳の若さで逝去。妻のチヨが家業を切り盛りしていくことを決意する。

戦況の悪化により、廃業の危機に陥いる。その後も、戦中・戦後の統制経済下での原料不足や、凶作による減産、行政機構や市場の混乱といった苦難を耐え抜き、低迷した製造石高をしだいに回復させるとともに、レッテルをカラーにするなど、酒の商品らしさを整えていく。

四代目髙澤英介
家業から企業への脱皮
災害を乗り越え、より良い酒をより多くの方々へ
1956
(昭和31年)
1956(昭和31年)

菊水酒造株式会社を設立

木製の大桶がまだ多くあった古い酒蔵を画期的な新蔵に建て替え、規模拡大を図る。

1966
(昭和41年)
七月十七日 水害被害
1967
(昭和42年)
1967(昭和42年)

8月28日 水害被害

昭和39年(1964)の新潟地震、さらに41年、42年と2年連続で下越大水害が発生。土石流が酒蔵を破壊する。廃業へと傾く気持ちを引き留めたのは、ひいきにして下さるお客様と、英介を信頼してくれる従業員そして家族の存在だった。

1969
(昭和44年)
1969(昭和44年)

現在地に新しい酒蔵を再建

災害による蔵の破壊から一転、現在地に新しい酒蔵を 再建する。

杜氏制を廃止

業界の伝統的な制度である杜氏制を廃止し、先進的な機械設備を導入して合理化を推進するなど、常識にとらわれない「菊水酒造」の体制づくりに取り組む。

1972
(昭和47年)
1972(昭和47年)

日本初缶入り生原酒
「ふなぐち菊水一番しぼり」発売

かつて蔵でしか飲めなかった酒を、すべての工程を見直し、幾多の試行錯誤を経て、日本で初めて缶入り生原酒を商品化。新しい日本酒のカテゴリーを確立。

にごり酒「五郎八」発売

独特の食感で、唯一無二の味わい。加熱をせずに生酒で仕上げたことも、当時ではかなり挑戦的な商品だったが、現代ではもはや冬の季語に。

1978
(昭和53年)
1978(昭和53年)

「菊水の辛口」発売

食文化の多様化の時代に合わせ、幅広い料理に合う、辛口の日本酒を浸透させる。

1983
(昭和58年)
1983(昭和58年)

「無冠帝」発売

「吟醸酒本来の味わいを実を持っ て多くの方々に楽しんでいただきたい」という願いから開発。

1993
(平成5年)
1993(平成5年)

菊水21蔵 稼働

商品ラインナップの増加により、蔵の規模も拡大。

五代目髙澤大介
モノとコトの融合により
日本酒の楽しみ方を創造していく
2001
(平成13年)
2001(平成13年)

新ボトリングライン稼働

全ての容量・容器の製品を空気清浄度クラス10,000レベルのクリーンルーム内において充填を行うことで、衛生レベルの向上を図る。

2004
(平成16年)
2004(平成16年)

菊水日本酒文化研究所 設立

平成18年に法人設立50周年(創業125年)を迎えるにあたり、菊水日本酒文化研究所を設立。研究開発機能、製造機能、人材育成機能、情報発信機能、交流機能を持つ。良いモノづくりを基盤としながら、面白いコトづくりを追求し、「モノ」と「コト」を融合させ新たな提案を創出する拠点となる。

2005
(平成17年)
新たな経営理念を掲げる
「より良い酒を追求し
豊かなくらしを創造する」
2007
(平成19年)
2007(平成19年)

US National Organic Program(NOP)認定

「米国農務省が定めたオーガニック食品についての統一基準(NOP)」の認定を受け、アメリカ市場向けに日本で製造したオーガニック日本酒の出荷を開始。
その後、2011年にはコーシャ認証を取得。海外輸出が拡大する。

2010
(平成22年)
2010(平成22年)

米国現地法人「KIKUSUI SAKE USA,INC.」設立

日本酒と日本文化を伝える啓蒙活動を行うために、北米地域における海外事業の活動拠点を設立。

2012
(平成24年)
2012(平成24年)

KIKUSUI Renewal Planプロジェクト(KRP)始動

次世代につなぐ「持続する蔵」をコンセプトに、菊水酒造のグランドデザインを刷新するプロジェクトが始動。各施設が単なる建築物としてではなく、北越後の魅力を取り込んだ「テロワールの建築」として評価され2019年に日本建築学会の北陸建築文化賞を受賞。

2018
(平成30年)

経営理念を刷新
「私たちは、感謝と良心を以って大地の恵みを醸し、こころ豊かなくらしを創造します」

菊水日本酒文化研究所一般公開
2019
(平成31年)
2019(平成31年)

本社ショップオープン、菊水庭園公開

菊水日本酒文化研究所の公開後、さらに新発田・北越後に訪れた方々に楽しんでいただける蔵を目指し、本社敷地内に新たに売店と、庭匠・田中泰阿弥氏が手掛けた日本庭園の2つのスポットを公開。

2021
(令和3年)
2021(令和3年)

菊水創業140周年 お客様への感謝の気持ちを新たに、北越後・新発田に根差し、人々の「健康」「憩」「楽」に貢献するモノ・コトづくりを追求し、こころ豊かな暮らしを創造します。