エピソードから生まれた みんなのふなぐち物語
Episode.1妻との乾杯
Episode.2徹夜の夜
Episode.3お茶会での一盃
Episode.4四十年前の月
Episode.5ふなぐちの部屋
Episode.6一缶一会
Episode.7ワンスモアふなぐち
Episode.8一枚の名刺
Episode.9壁ぎわの癖
Episode.10息子の帰省
Episode.11越後からの客人
Episode.12ふなぐちと四国へ
「車の運転、本当に大丈夫なの? いい歳をして無茶しないでね」 ボストンバッグに着替えを詰めながらニヤついている韮崎俊哉を、妻の敦子がたしなめた。 二十五年ぶりの同級生との旅に、俊哉は鼻歌さえも洩れそうだった。
定年退職を迎えた今年の春、大学の同級生だった渡辺健司から久しぶりに電話があった。 卒業後も幾度か同窓会で会っていた渡辺は、長岡の中小企業を定年退職したばかりだった。
これから何をしようかと思案する渡辺は、同じ境遇であろう友人たちへご無沙汰の電話をかけつつ近況を訊ねていた。
佐々木や伊藤といった大学で仲の良かった友人たちの名前も飛び出し、思い出を懐かしむ長電話になった。
「そう言えば、三十五歳になった年にみんなと四国へ旅行に行ったよなぁ。確か、車で十五時間かかった。あんなこと、もう経験できないねぇ」
新潟人の俊哉たちにとって四国は遥かに遠い未知の国だったが、瀬戸大橋の完成も重なり、その年の同窓会でも一度は見ておかねばと話題になっていた。
しかし、飛行機を使うには財布の中身が乏しいし、列車の乗継ぎには時間がかかる。いっそのこと車で行ってみようかと口走った渡辺の勢いに乗って、俊哉と渡辺、そして佐々木と伊藤の四人で運転を交替することにした。
佐々木と新潟駅前を出発し、長岡で渡辺、柏崎で伊藤を乗せるとすでに二時間かかっていた。富山県へ入った時には三時間も過ぎていて、縦に長い新潟県を今さらながら実感した。 「この調子じゃ、けっこう疲れそうだね。とにかく岡山県の瀬戸大橋のたもとまで行ったら、今日は泊まりだ。一人四時間の運転で交替しようぜ。運転が終わったら、こいつを飲んで寝てれば着いちゃうさ」
運転する俊哉に、助手席の渡辺が金色のアルミ缶を見せた。ふなぐち菊水一番しぼりの銘柄を一瞥した俊哉は 「ふなぐちかぁ。それっ、うまいよなぁ! 確かに、こういう旅行の時にも便利だな。瓶だと持ちにくいし、見た目にもカッコ悪いしさ」 と物欲しげに唾を呑み込んだ。
「おいおい、飲酒運転はダメだよ。運転をキッチリやってからのご褒美だ。じゃあ、そろそろ韮崎は佐々木と交替だな」
高岡パーキングエリアの看板が見えると、渡辺は後部シートの佐々木に交替を告げて俊哉にふなぐちの缶を渡した。
車が出発すると、マリンブルーに映える快晴の日本海を目の当たりにしながら、俊哉はアルミ缶を開けた。 軽やかな音とともに、生原酒の香りが狭い車内へ広がった。 「おお~っ、たまらねえな。ちくしょう! 俺も先に運転しておくんだったよ」 一番最後のドライバーになったため、到着するまでふなぐちを口にできない伊藤が悔しがった。
ふなぐちの酔いと高速道路の揺れが心地よい揺りかごとなって、俊哉はいつしか眠っていた。目覚めた時は高速道路から一般道にいったん入り、すでに神戸近くを走っていた。
トイレ休憩を兼ねてコンビニへ立ち寄った時、店内を物色していた渡辺が興奮して俊哉の肩を叩いた。 「おっ、おい! ふなぐちがあるよ! 神戸でも売ってるなんてスゴイなぁ」 鼻息の荒い渡辺が指さす棚に金色のアルミ缶が輝いていたのを、俊哉はつい昨日のことのように憶えている。
電話の向こうで早口になっている渡辺に、俊哉の声もしだいに大きくなっていた。 「あの時、俺はコンビニのスタッフやお客さんに、ふなぐちを自慢したくなったよ」 すると、ふいに渡辺がつぶやいた。 「おい、韮崎。いっそのこと、もう一度、四国へ行ってみないか」
予想もしない言葉に俊哉は一瞬ためらったが、はっと気づいた。引退した友人たちもこれからを迷いつつも、懐かしい思い出を探しているんだと。 「いいね! がんばって行ってみるか。じゃあ、俺がふなぐちを用意して行くよ」 「ああ、よろしく頼む。それと、今度は伊藤を一番ドライバーにしてやろうぜ」
それを憶えてくれている渡辺が、俊哉にはうれしかった。
思い出し笑いをしながらボストンバッグを締めかけた俊哉に、敦子が声をかけた。 「あなた、このふなぐちはどうするの?」 「おおっと、忘れちゃいけない。こいつが肝心なんだ。みんな、今回はとっておきのふなぐちだぞ」 ボトンバックを開ける俊哉が、ほくそ笑んだ。
敦子の両手に、薫香と書かれたふなぐちの黒いアルミ缶が光っていた。
(了)