エピソードから生まれた みんなのふなぐち物語
Episode.1妻との乾杯
Episode.2徹夜の夜
Episode.3お茶会での一盃
Episode.4四十年前の月
Episode.5ふなぐちの部屋
Episode.6一缶一会
Episode.7ワンスモアふなぐち
Episode.8一枚の名刺
Episode.9壁ぎわの癖
Episode.10息子の帰省
Episode.11越後からの客人
Episode.12ふなぐちと四国へ
「寒の戻りによる大雪のため、午後からの日本海側の鉄道や空の便は軒並み運休となりそうです」 朝のニュース番組の気象予報士が、生真面目な顔で告げていた。
そのコメントを受けたお茶の間におなじみのメインキャスターも、今日からの土・日の二日間で東北では一メートル以上積もりそうだと声を高くした。
「健太郎の奴、大丈夫かな」 テレビ画面の天気図に目を細める山本健介が、リビングのソファーへ座りながらつぶやいた。 先に座って食後のコーヒーを煎れていた妻のめぐみは、お湯を注ぐ手を止めたまま、食い入るように見つめている。今夜、一人息子の健太郎が単身赴任している新潟から帰京するだけに、めぐみは気が気ではないようすだった。
新潟市内のデパートに新卒で配属された健太郎にとって年末年始は超多忙で、正月休みも取れずじまいだった。言わずもがな、ふた月も遅れた休暇と帰省は健介たちにとって嬉しさひとしおだった。
それが証拠にめぐみは昨夜の買い出しで、健太郎のために上等な肉や魚だけでなく彼のお気に入りのふなぐち菊水一番しぼりを十缶も買い込んだ。金色のアルミ缶入りのふなぐちは健太郎が初めて口にした日本酒で、新潟に着任早々、あまりの美味しさに両親へ送って来た地酒だった。そのおかげで、夫婦にとっても晩酌の定番になった。
久しぶりの一家団欒を阻むかのような豪雪の画面へ、めぐみは恨めしげに口を尖らせた。 「あ~あ、新潟は酒と魚が美味しいから、いいじゃないかなんて……あなたの口車にまんまと乗せられた私がバカだったわ」 「おいおい、俺のせいじゃないだろ。お前だって新潟で健太郎にコシヒカリを安く買ってもらって、送ってもらおうって期待してたじゃないか」 「もう!いいわよ。だいたい、健太郎も健太郎よ!どんな状況なのか、電話の一本ぐらいかけてくれてもいいのに。え~い、私、酔っぱらっちゃう!」
痛いところを突かれためぐみは、やけっぱち気味に立ち上がり、冷蔵庫に冷やしていたふなぐちの缶を取り出してキャップを開けようとした。 その時、テーブルの上に置いていためぐみのスマートフォンが、軽やかな音をたてた。 液晶画面には健太郎の顔写真が映し出されている。ビデオ通話の呼び出しだった。
気づいた健介が言うより先に、めぐみの手がスマートフォンを取り上げた。 「もしもし!健ちゃん。今、どこ?でっ、どうなの?帰って来れそうなの?」 立て板に水のめぐみの表情にあきれる健介は 「まったく、いつまでも子離れしねえなぁ」 と苦笑したが、それもめぐみの耳には入っていない。 だが、画面から健太郎の声が洩れ聞こえると、健介もめぐみと同様に耳をそばだてた。
「母さん、大丈夫だよ。昨日のうちに朝の上越新幹線にチケット変更して、今、新潟駅を出たところだよ。長岡からは徐行運転だけど、昼過ぎには東京に着くと思うよ」 「な~んだ!そうだったの。もう、心配させないでよ」 めぐみがふなぐちのアルミ缶を手にしたまま胸を撫でおろすと、それが画面に映ったらしく、途端に健太郎の声が大きく聞こえた。
「ええっ!母さん、朝っぱらからふなぐち飲んでんの?」 「あっ、そ、そうじゃないのよ。これはお父さんがね、朝酒を飲むって聞かないから、健ちゃんが帰るまで我慢してって、取り上げたところなの」
それを聞いた健介が思わずコーヒーを吹き出しかけると、顔をしかめるめぐみは唇に指を立てた。しかし、そのようすもしっかり画面に映っている。 「あいかわらず、ごまかすのが下手だな。でも、いいよ。実は俺も今、ふなぐち飲んでるんだよ。しかも、ちょっとプレミアムなふなぐち。『薫香ふなぐち』って言うんだぜ。今回のお土産は、こいつを十缶だ」
健太郎が自慢げに画面に映し出したのは、黒いふなぐち缶だった。 スマートフォンの画面いっぱいに黒いふなぐちをどっさり入れたバッグが映し出され、めぐみが目を丸くしてると 「どっ、どれどれ!俺にも見せてくれよ」 と健介も顔を寄せた。 すると、小さなスマートフォンの前で寄り添う二人の姿に健太郎が大笑いした。
「あっははは!まったく、俺とふなぐちのどっちを待ってるんだよ。でも、父さんと母さんは仲がいいってことが、これで証明されたね。じゃあ、首を長くして、いや、ノドを鳴らして待っててね」
そのままスマートフォンが切れると、健介とめぐみはお互いの顔を見合わせた。今さら気はずかしいような、それでいて、健太郎の言葉がうれしくもあった。 「ねえ……朝酒、飲んじゃおうか?」
めぐみがはにかみながら、ふなぐちのキャップに手をかけた。 「ああ、そうだな。たまには二人で酔って、もっと仲のいいところを健太郎に見せつけてやろうか」 金色のアルミ缶を開ける軽やかな音が、二人の会話に「いいね!」と答えているようだった。
(了)