SINCE 1972 FUNAGUCHI KIKUSUI ICHIBAN SHIBORI いつの時代も、変わらない思いがありました。

ふなぐち菊水一番しぼり40周年感謝祭 > ふなぐち誕生ヒストリー

危機を乗り越えて

 1960年代後半、日本経済は高度成長期のピークを迎えていました。大手酒造メーカーは順調に業績を伸ばしましたが、地方の蔵元は逆に圧迫され、転廃業の危機にさらされていました。菊水酒造も例外ではありません。そのうえ菊水は、1966年、67年と続いた大水害によって茫然自失となるほどの被害を被ってもいたのです。
 廃業へと傾く気持ち。それを引き止めてくださったのは、何よりお客様からの「頑張れよ」という励ましでした。一念発起し、移転再建を決断。69年には新しい蔵が稼動しました。

研究開発に丸三年

  大手にはできないことをしなければ。考え抜いた末に思い当たったのが、酒蔵来訪者だけに振る舞っていた原酒でした。蔵でしか飲めない、しぼりたての生原酒。おいしいと好評でしたが、当時の技術では商品化することができなかった秘蔵酒です。
 一般の日本酒は、加熱殺菌して市販されます。そうしないと品質劣化や腐敗が起きるからです。原因となるのは、昔から酒蔵を悩ませてきた火落菌。濾過で取り除くこともできるのですが、それでは旨味も消えてしまいます。  それでも「できたての酒って、こんなにうまいんだ」「これを売ってくれ」とまで言ってくださるお客様の声に応え、この生原酒を商品化することを決意。醸造技術を根本から改め、最初から火落菌が入らないよう工夫しました。また、日本酒は紫外線に弱い性質があるため、遮光性に優れているアルミ缶を容器に採用。そうして、研究開発に着手してから3年目の1972年、元祖生原酒「ふなぐち菊水一番しぼり」が誕生したのです。

口コミで徐々に人気が

 長い年月を費やして生まれた「ふなぐち」ですが、当初から好調だったわけではありません。日本酒は一升瓶に入っているのが常識で、小さなアルミ缶入りの酒など、どこも取り扱ってくれませんでした。
 そこで展開したのが、都会からのスキー客や温泉客の多いリゾート地での試飲販売です。とにかく一度飲んでもらえば、このおいしさをわかっていただけると信じての活動でした。その功を奏して、「ふなぐち」を飲んだお客様が都会へ帰って、デパートや酒屋で「ふなぐちはおいしい」「ふなぐちはないのか?」と口コミで宣伝してくださいました。こうして少しずつ小売店での取り扱いが増えていったのです。
 「ふなぐち菊水一番しぼり」は、蔵を訪れたお客様の「おいしい」という声から生まれた酒。試飲したお客様の「おいしい」という声によって広まった酒。そしてこの「ふなぐち」が、窮地にあった菊水酒造を救ったのは言うまでもありません。お客様の「おいしい」という声がなかったら、今の菊水酒造はなかったでしょう。