大人の嗜み 第五回

酒の神を訪ねて 〜御神酒のあがらぬ神はなし〜

日本人と酒は、切っても切れぬ縁。伝統行事や神事などの儀式の場にも結婚式など人生の節目となる祝いの席にも必ずそこには、酒がある。神聖なものでありながら日常をも潤してくれるそんな酒に感謝しながら、日本人はこう考える。
「今日も旨い酒が飲めるのは、酒の神様のおかげ」と。

神様は美味しいものしか召し上がらない!?

日本には八百万の神がいる─、その中には酒にまつわる神様も、もちろんいます。
古来、酒は神事に欠かせぬものでした。神様に毎日あげられる食事「神饌」においても酒は、最上段の中央に置かれるほど重要な地位を占めています。
日本人がはるか昔から、地域の守り神として信仰してきた神社と関わりの深い酒。酒と神のつながりを探れば、日本人と酒のつながりもまた、見えてくるはず。そんな思いを胸に、神社本庁を訪ねました。
「神にあげる食事は、その土地でとれる最高のものや味のよいものなど、人間にとって価値があるものとされています。水や塩など、人間が生きていく上で必要不可欠なものから、野菜、魚、食材などから調理されたものまでと、その種類は地域によってもさまざまです。そんな中で、稲作を中心に栄えてきた日本では、地域を問わず、米、米からつくられる酒と餅の3つは特に重要なものとされています。 自然との調和を大切にする神道では、山にも海にも稲にも、神が宿るとされます。それゆえに我々日本人は、米の一粒一粒に神が宿っていると教えられて育ちます。さらに、その米粒は神のおかげで作ることができるというのが、神道の考え方です。米と同じように酒も神がいるおかげで造ることができると考えますし、造られた酒には、やはり神の魂が宿ります。つまり酒は、神の食事でありながら、とても神聖なものでもあるのです」

酒が神様と人間の結びつきを強める

三三九度

かつて、大きな神社では神事のための酒造りを敷地内で行っており、小さな神社では、その神社を氏神とする村の人々が酒造りをし、神様に供えていたといいます。
「神様に供えた酒はお下がりとして、我々人間がいただきます。これには、神と人々を結びつけるという大切な意味合いが含まれています。少し話はそれますが、神前結婚式の三三九度に代表されるように、酒は神と人とを結ぶだけではなく、新たな人間関係を結ぶ席にも欠かせないものでもあります。
このお下がりですが、新嘗祭(にいなめさい※)など大きな祭りのときには、特に『直会(なおらい※) 』と呼び、村人も含め神事に参加した者みんなで、神事の最後に神酒を飲み、食事をいただくという大切な儀式として執り行われ、今なお受け継がれています。儀式のひとつとはいえ、宮司にも酒豪は多いですし、神酒は神様にあげるくらい旨いものとされていたわけですから、酒宴は大いに盛り上がったでしょうね」“御神酒のあがらぬ神はなし。”毎日のお供えから特別な日のお祝いまで、神様と酒は切っても切れない関係にあります。そして、神に守られている我々もまた、“酒をあがらぬ人はなし”、といったところでしょうか。

大神神社「磯城の舞」

※「直会(なおらい)」とは?

お供えしたものをいただくことで、神と人が一体となる(=神人共食)。
直会の語源を「なおりあい」とする説もあります。神職は祭りに奉仕するにあたり身を清めるほか、通常の生活とは異なるさまざまな制約があり、直会をもってすべての行事が終了し、もとの世界に戻るとされています。
「もとに戻る=直る」という意味合いを持つことからも、直会が祭典の一部であることがわかります。

※「新嘗祭(にいなめさい)」とは?

毎年11月23日に行われる大祭。新嘗とはその年に収穫された新しい穀物のことです。天皇陛下が新米や神酒を神々に捧げられ、五穀豊穣をご奉告されます。
新嘗祭においても、神々に捧げられた御饌御酒を陛下自らが召し上がられます。 新嘗祭は全国の神社でも執り行われていますが、かつては各家庭でも行われていたといいます。

大神神社「新嘗祭」

取材こぼればなし その1 神様の得意分野?

日本の神々は、稲作の神であり安産の神でもあるといったように、 1柱でいろんな役割を担っている場合が多いのです。 そもそもは、神話を元に○○の神として祀られるようになったはずが、その地域である産業が盛んになると、 「地域の氏神様のおかげ」と考え、それが徐々に庶民の間に広まった結果、 後から役割が増えていくことも珍しくありません。
この数年の間に、東京大神宮が縁結びの神社として若い女性を中心に急速に広まったのがいい例です。

取材こぼればなし その2 神話と酒「八塩折之酒(ヤシオオリノサケ)」

『古事記』の中の出雲神話と言えば、スサノオノミコトのヤマタノオロチを退治する場面がつとに有名です。
その退治の際にヤマタノオロチに飲ませて酔わせた酒として登場するのが 「八塩折之酒」(※『日本書紀』では「八酒」と表記)。 「八」はたくさん、「塩」は熟成もろみを搾った汁、「折」は何度も繰り返すの意。
ここから想像するに、「八塩折之酒」は酒を酒で仕込む「貴醸酒」のようなものだったと推察でき、 アルコール度数が相当高かったためにヤマタノオロチを酔わすことに成功した、とも考えられます。

■参考文献
「神道いろは 神社とまつりの基礎知識」神社本庁数学研究所監修(神社新報社) 「日本 神さま事典」三橋健、白山芳太郎(大法輪閣)

■神社本庁
昭和20年12月15日、GHQが発出した覚書、いわゆる「神道指令」により神社の国家管理制度が全廃された翌年2月2日の翌日、全国神社の総意で設立された団体。全国の宗教法人格を有する神社の大部分(約8万社)を包括する。包括下神社の管理、指導、神職養成や生涯学習、祭祀の振興、伝統文化の興隆に関わる諸業務を行っている。

神社本庁(東京都渋谷区)

酒の神を訪ねて、御利益にあやかる
一度は訪れたい日本三大 酒の神社

大神神社(おおみわじんじゃ)
奈良県桜井市三輪 大神神社
TEL:0744-42-6633 日本最古の神社のひとつとして知られています。 三輪山そのものが御神体であるために 本殿はなく、拝殿奥にある三ツ鳥居を通して三輪山 を拝するという原始形態の神祀り様式でも有名。
御祭神
大物主大神(オオモノヌシノオオカミ) 国造りの神、人間生活全般の守り神。崇神天皇の時代、国が疫病の流行で混乱を極めた際、天皇は高橋活日命(タカハシイクヒノミコト)を杜氏として酒を造り、大物主大神にお供えをして国家安泰を祈願。その後、 疫病は去って平穏になり、国が富みはじめたことから大物主大神は“酒造の神”と崇められ、高橋活日命は“杜氏の祖神”として大神神社の摂社「活日神社」に祀られています。

【御利益にあやかる!】

日本有数のパワースポット 三輪山
『古事記』や『日本書紀』には御諸山(みもろやま)、 美和山(みわやま)などと記され、大物主大神の鎮まるお山、神体山として、古くから信仰されています。現在では、神社も含めてパワースポットとしても知られています。
梅宮大社(うめのみやたいしゃ)
京都市右京区梅津フケノ川町30
TEL:075-861-2730
日本最古の酒造の神を祀る神社として有名で、それと並び、子授け・安産の御利益でも知られています。 庭園には季節ごとの花が咲き、こちらも見どころのひとつです。
御祭神
酒解神(サカトケノカミ)/酒解子神(サカトケノミコノカミ)/大山祗神(オオヤマズミノカミ)は、彦火々出見尊(ヒコホホデミノミコト)が安産であったことを喜び、狭名田の稲穂で天甜酒(アメノタムサケ)を醸み造って天神地祇に供えたことが日本書紀にも載っており、これが日本酒醸造の始まりで、酒造の守護神としてあがめられています。大山祗神を酒解神、彦火々出見尊の母である木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)を酒解子神と称する所以でもあります。

【御利益にあやかる!】

子宝に恵まれる またげ石
本殿の横に鎮座するこちらの石をまたぐと、子宝に恵まれるとの言い伝えがあります。御祭神の一柱である檀林皇后がまたがれたところ、速やかに皇子(後の仁明天皇)を授かったと伝えられ、以来、血脈相続の石として信仰されています。※またげ石へは、夫婦一緒に子授けの祈祷を受けた場合に案内。
松尾大社(まつのおたいしゃ)
京都市西京区嵐山宮町3
TEL:075-871-5016
大宝元年(701年)、大陸から酒造の技術を伝えたとされる秦氏の創建。 歴代天皇が度々おいでになる、由緒ある京都の古社。
御祭神
大山咋神(オオヤマグイノカミ) 素戔嗚尊(スサノオノミコト)の孫。5、6世紀の頃、秦氏が松尾山の神=大山咋神を総氏神として仰ぎ、この地に新しい文化をもたらしました。農業が進むと次第に他の諸産業も興り、特に酒造については秦一族の特技とされました。秦氏に「酒」という字の付いた人が多かったことからも酒造との関わり合いが推察できます。これらが、室町時代末期以降、「日本第一酒造神」と仰がれる由来とされています。

【御利益にあやかる!】

霊水で延命長寿 亀井の水
境内奥、霊亀の滝の手前に位置する霊泉で、延命長寿、蘇りの水としても有名。この水を酒の元水として加えると酒が腐らないという逸話があります。早朝からこの水を汲みにくる参拝者も多く、誰でも自由に飲むことができます。